この先生は、「規則を守る事は当たり前」と思いこんでいて、守らせる事にのみ固執し、規則の本質を見抜く力が足りないのではないかと感じました。
金髪やパーマなどの派手な髪型は次の機会に考えるとして、今回の疑問は、わずか数ミリが校則に適さないからといって違反にしてしまうことです。
例えば、前髪は眉毛に届かないくらいと決められている場合、あと2、3ミリが長いからといって、その子に弊害があるのでしょうか?
しかも、生徒の身体的条件は皆違うはずなのに、頭髪規則が全員いっしょというのもどうでしょうか?
・・・・ ヒタイが狭い子は、前髪を眉毛にとどかないくらいにすると、ほとんど前髪がなくなってしまいます。
これでは、校則は守れているかもしれませんが、この子の自尊心は守ることができません。
この生徒は、「はずかしい」と思う気持ちを持ったまま生活しなければならないのに、教師はそこに想いが至っていないのではないでしょうか?
だれの為に規則があるのかを考えた時、それは生徒達のためでなくてはならないのではないでしょうか?
清潔な身なりを整えることを教えるのが目標なのであって、なにがなんでも規則を守ることが目標ではないはずです。
仮に、数ミリの違反があったからといって、それを見逃しても教師の威厳を損なうということは無いはずです。
また、他の生徒も、堰を切ったようにルールを守らなくなるということもないのでは・・・・?
その学校の校則が、いつの時代に、どんな理由で決まったかを知る教師はあまりいないのではないでしょうか?
知らないのに、学ぼうともしない・・・・
そして、学んでもいないことを「規則」だからという理由で、無理に生徒に守らせようとしても、反発しか生まれません。
大事なのは、何が本質なのかを教師が理解し、生徒に伝えようと努力する姿です。
生徒と直接に関わらない部分である、 「提出しなければいけない書類を作成するための努力」や、 「発表する論文を書くための努力」などは、生徒は心から求めていないのではないでしょうか?
優れた教師を、「どれだけ生徒の為に努力できるのか」というふうに仮定したとすると・・・
身体的特徴を無視した規則を強制する教師は、教師自身が生徒を管理するために規則を守らせているだけだと感じとられても、いたしかたないのではないでしょうか?
生徒もバカではありません。
生徒のためでなく教師の保身のための規則なんか守りたくもないでしょう。
中には、おかしな規則だなと思いつつも、しっかりと規則を守っている子もいるでしょう。
こんな子供は、きっちりと家庭で「なぜ規則があるのか?なぜ規則を守らなければいけないのか?」を教えてもらっている子供かもしれません。 (家庭が円満で心が満たされている状態)
もしくは、反発してもわかってもらえないから・・・・と達観しているだけかもしれません。
問題なのは、規則を守らないだけでなく、強烈に反発するような生徒です。
このような生徒は、・・・
・ 家庭でしっかり教えてもらえない環境で育ち、教師に規則を強制され、反発するものも、なぜ規則があるのかを教師から親身に教えてもらえず、さらに押さえつけられる。
・ さらに反発すると、教師は威厳を守るために、より強力に押さえつける、子供は何もわからないまま自尊心が崩壊していく
というような悪循環に陥ってしまう可能性があるのです。
教師は、生徒より数十年も長く生きてきているのです。ムキになる必要など無いと思うのです。
必要なのは、この生徒は、どうして校則を守れないのか?
なにか理由があるのではないのか?
心の奥にどんな考えを秘めているのか?
教師には、このような生徒の気持ちを、汲み取って、受け入れ、聞いてやることが必要なのではないでしょうか?
もしも、生徒が強烈に反発する場合には、何か理由があるはずです。
生徒同士のいじめ・教師からの圧力・家庭でのいさかい・・・・・
それを聞き出す努力なしで、規則を守らせることだけに固執する教師は優秀といえるでしょうか?
教師と生徒の間には、作用・反作用の法則が働いているのだと思います。
教師が圧力をかければ、それだけ生徒からの反発も大きくなる法則です。
現代の教師は、すごく忙しいのだと思います。
しかし、子供に向きあえる時間を減らし、書類や発表、まわりの先生方たちとの立ち回りなどに時間を忙殺されているのだとしたら、・・・・・
その人は教師としてプロといえるのでしょうか?
プロであると言うなら、本質を追及する姿勢があって当然とみなされるのではないでしょうか?
そんな姿勢を見せていない教師がいたならば、生徒は見抜いてしまい、言う事を聞かなくなってもおかしくないでしょう。
大人の世界でもプロが言うことなら、素直に受け入れる可能性は高いものです。
生徒に規則を守らせようと思うなら、教師自身がプロの意識を持ち、生徒から、教師として尊敬される存在であり続ける必要があると思います。
むしろ、教師として、本当の意味で尊敬されることになれば、生徒は叱られるようなことをすることは減ってくるのだと思います。
これらが出来ないなら・・・その人は、教師ではなく、「公務員」です。 ※注1
「先生!」と呼ばれるからには公務員として振舞うのではなく、プロの教師として生徒に対峙していかなければならないのだと思います。
生徒から信頼されるようになるためには、まず、教師が生徒を信用しなければならないのかもしれません。